小此木啓吾は、その著書『モラトリアム人間の時代』において、現代社会における成熟や自立について、従来の考え方とは異なる視点を示唆しています。彼の議論を要約すると、以下のようになります。
従来の成熟・自立観への疑問:
小此木は、高度経済成長以前の日本社会におけるような、画一的で規範的な「大人」像や「自立」のあり方が、現代社会においては必ずしも当てはまらないと指摘しました。かつての社会では、年功序列や終身雇用といったシステムの中で、比較的明確なライフコースが存在し、それに沿って段階的に成熟し、自立していくことが期待されていました。
現代社会における成熟の多様性:
しかし、現代社会は、価値観の多様化、雇用の不安定化、情報過多など、複雑で流動的な状況にあります。このような社会においては、単一の成熟モデルは存在せず、個々人がそれぞれの状況に合わせて、多様な形で成熟していくと考えられます。
「モラトリアム人間」と成熟・自立:
小此木が提唱した「モラトリアム人間」は、必ずしも未熟で自立できていない存在として否定的に捉えられているわけではありません。むしろ、社会の変化に適応しようとする過程で、従来の「大人」の役割や責任をすぐに引き受けることをためらい、自己探求や様々な可能性を模索しているとも解釈できます。
成熟とは「引き受ける」こと:
ただし、小此木は、単に社会参加を遅らせることが成熟であるとは考えていません。彼が考える現代社会における成熟とは、不確実な社会の中で、主体的に自分の生き方を選択し、その結果として生じる責任や困難を「引き受ける」ことだと考えられます。
自立の再定義:
同様に、自立も経済的な独立だけでなく、精神的な自律性、つまり自分の価値観や判断に基づいて行動し、他者に過度に依存しない精神的な強さが重要になります。また、社会との関わりを完全に断つのではなく、他者との関係性を持ちながらも、主体性を失わないことが現代的な自立のあり方と言えるでしょう。
結論として、小此木啓吾は、現代社会における成熟や自立を、従来の規範的な枠組みで捉えるのではなく、より多様で流動的なものとして捉え直す必要性を提唱しました。「モラトリアム人間」という概念を通じて、若者が社会の変化に対応しながら、主体的に自己を確立していく過程の複雑さを浮き彫りにしたと言えます。重要なのは、猶予期間を経て、最終的に自分自身の責任を引き受け、自律した生き方を模索することだと考えられます。
現代社会における成熟、自立について
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