「モラトリアム」という言葉を、心理学や社会学の分野で広く知らしめたのは、アメリカの心理学者 エリク・H・エリクソン(Erik H. Erikson) です。
エリクソンは、人間の発達段階理論の中で、青年期(思春期後期から成人期初期)を、「心理社会的モラトリアム(psychosocial moratorium)」 と名付けました。
エリクソンによれば、この時期は、青年が子供時代のアイデンティティから離れ、様々な役割や価値観を試しながら、自分自身の確固たるアイデンティティを確立していくための、社会的に容認された猶予期間とされます。この期間中、青年は、学業や職業選択、人間関係など、将来の生き方を模索するために、ある程度の責任や義務を猶予されると考えられています。
エリクソンのこの概念が、1960年代以降、特に青年心理学や社会学の分野で広く用いられるようになり、日本においては、小此木圭吾氏の著書『モラトリアム人間の時代』(1978年) によって、一般にも広く知られるようになりました。
したがって、「モラトリアム」という言葉自体は以前から存在しましたが、心理学・社会学的な意味合いを付与し、広めたのはエリク・H・エリクソンであり、日本で一般に浸透させたのは小此木圭吾氏と言えるでしょう。
エリク・H・エリクソン(Erik Homburger Erikson)
生年月日: 1902年6月15日
没年月日: 1994年5月12日(満91歳)
出生地: ドイツ、フランクフルト・アム・マイン
学歴・職歴:
- 芸術家としての活動: 若年期はヨーロッパ各地を放浪し、画家として活動。
- ウィーン精神分析研究所: アンナ・フロイトの指導を受け、精神分析の訓練を受ける。モンテッソーリ教育の教師としても勤務。
- アメリカへの移住 (1933年): ナチスの台頭を避けてアメリカ合衆国へ移住。
- ハーバード大学: 研究員、講師
- イェール大学: 講師、研究員
- カリフォルニア大学バークレー校: 教授
- オースティン・リッグスセンター: 臨床医
- ハーバード大学: 再び教授(晩年)
専門分野:
- 発達心理学
- 精神分析学
- 文化人類学
業績と貢献:
エリクソンは、ジークムント・フロイトの精神分析理論を発展させ、生涯にわたる人間の心理社会的発達段階理論を提唱したことで最もよく知られています。彼の理論は、個人の心理発達が生物学的な成熟だけでなく、社会的な相互作用や文化的な背景によって大きく影響を受けるという視点を強調しました。
主な業績:
- 心理社会的発達段階理論: 人間の発達を生涯にわたる8つの段階に分け、各段階で個人が直面する心理社会的危機(葛藤)とその克服について論じました。
- 乳児期 (0-1歳): 基本的信頼 vs. 不信
- 幼児前期 (1-3歳): 自律性 vs. 羞恥心と疑惑
- 遊戯期 (3-6歳): 主導性 vs. 罪悪感
- 学童期 (6-12歳): 勤勉性 vs. 劣等感
- 青年期 (12-18歳): アイデンティティの確立 vs. アイデンティティの拡散
- 成人期初期 (18-40歳): 親密性 vs. 孤立
- 成人期中期 (40-65歳): 世代性 vs. 自己吸収
- 老年期 (65歳以上): 自己統合 vs. 絶望
- アイデンティティ概念の提唱: 特に青年期におけるアイデンティティの確立の重要性を強調し、「アイデンティティの危機」という概念を提唱しました。
- 心理社会的モラトリアム: 青年期を、社会的な責任や義務から猶予され、自己探求を行うための重要な期間と捉えました。
- ライフサイクル論: 人間の発達を生涯にわたる連続的なプロセスとして捉え、晩年の発達段階にも焦点を当てました。
- 文化人類学との融合: アメリカの先住民(スー族、ユロック族)の研究を通して、文化が発達に与える影響を考察しました。
主な著作:
- 『幼児期と社会 (Childhood and Society)』 (1950年): エリクソンの代表的な著作であり、心理社会的発達段階理論の基礎が示されています。
- 『アイデンティティ:青年と危機 (Identity: Youth and Crisis)』 (1968年): 青年期のアイデンティティ形成について深く掘り下げた著作です。
- 『洞察と責任 (Insight and Responsibility)』 (1964年): 倫理や歴史、社会問題など、幅広いテーマについて論じたエッセイ集です。
- 『老年期 (The Life Cycle Completed)』 (1982年): 晩年の発達段階について考察した著作です。
エリク・H・エリクソンは、発達心理学の分野において非常に大きな影響力を持つ人物であり、その理論は教育、臨床心理学、社会福祉など、幅広い分野で応用されています。彼の提唱したアイデンティティやモラトリアムといった概念は、現代社会においても重要なキーワードとして用いられています。

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